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<再発見!伊豆学講座>柳田国男の伊豆旅行 駕籠で天城越え:東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

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柳田国男

柳田国男

 民俗学者の柳田国男は明治四十三(一九一〇)年五月から伊豆を旅行して、「五十年前の伊豆日記」を残している。筑摩書房から出版されている「定本柳田國男集第三巻」に所収されている。

 柳田のことを「遠野物語」に代表される民俗学者と思っている人も多いだろう。しかし、官吏であり後に国際連盟委任統治委員を務め、欧州に滞在したこともある。明治四十三年の柳田は激務にくたびれ果て、その疲れを癒やすため、伊豆に一人慰安旅行をしたのだ。その時の様子を日記に残したのだから、ただならぬ人である。

 その日記の中で、いかにくたびれていたかを記している。下田に宿を取ろうとしたら、宿屋の主人が「この人は自殺するかもしれない」と思い、断られた。仕方なく、蓮台寺温泉(現下田市)に宿泊したと書いているのだ。

蓮台寺温泉の入り口にかかる橋=下田市で

蓮台寺温泉の入り口にかかる橋=下田市で

 「伊豆日記」の内容で、筆者(橋本)が当時の様子に個人的な興趣がわく場所をいくつかなぞってみる。

 五月十八日朝、終着駅の大仁(現伊豆の国市)に汽車で到着した。柳田は日野屋という酒屋に興味を持つ。日野屋は、江戸後期に近江蒲生日野(現滋賀県)出身の山中氏が、南條(伊豆の国市)で醸造業を始めた。狩野川の水で造る酒がおいしいのは何かを入れているのではないかと、記している。近江から来る日野屋の従業員には住所を移動させないことでも有名で、結婚相手も近江の人としたのだそうだ。

 大仁から人力車で下田往還を南下、湯ケ島に泊まる。途中、現在の伊豆市本立野を通る。この時、「塞(さい)の神」の石造物を見る。塞の神は独特の形をしているそうで、北伊豆独特の「伊豆型」道祖神と聞く。過日、筆者(橋本)が下田市の方からその場所を通ったら、女性の石造物があった。下田方面在住らしき人が、地元にはないものだと驚いたように話していた。

伊豆市本立野に鎮座している塞の神

伊豆市本立野に鎮座している塞の神

 柳田は翌十九日、駕籠(かご)で天城越え、湯ケ野温泉泊。二十日は前述の通り、馬車で湯ケ野から下田へ行くが宿泊を断られ、蓮台寺に一泊。二十一日、馬車で加増野(かぞうの)から婆娑羅(ばさら)峠を越え松崎へ行き、宿泊。松崎に逗留(とうりゅう)した。現在でも松崎の観光案内をする案内人は、明治時代養蚕が盛んで暖地のため、春蚕の一番相場が立ち「松崎相場」というと、説明している。

 柳田の著書にもそのことが記されている。相場というが、卸業者が二人来て松崎の旅館に泊まり、そこで購入価格を決める。松崎相場はこのように決まったのだと納得した。ちなみに、松崎では明治期に子牛の相場も立ったようである。

 二十二日、松崎から帰路を船「松丸」で沼津に向かう。「乗合多けれど皆田子という処(ところ)にて下りたり」とあり、十時前に沼津へ着く。「狩野川を上りて船を岸に繫(つな)ぐ」、東海道線で車中にて弁当とイチゴを買い、吉原へ向かった。

 「伊豆日記」には、ここで紹介した以外にも興味が尽きない明治期の伊豆の風景が著され、多くの方に手にとってもらいたいと思う。(橋本敬之=伊豆学研究会理事長)

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